人生のスパイス3(プロット)

前日の夜はほとんど眠れなかった。現地で集合して、まず私は食べたいお昼ご飯をしっかり調べてきたのにもかかわらず全否定された。そして彼の食べたいものを食べた。それはそれで良かったが、否定のされ方がとても悲しかった。でも私はお金を払っていないので、楽しく振る舞うしかなかった。

 

紅葉が始まりたての季節で山の風景は大変美しかった。こういう所々火がついたように紅葉している様を「狐火」という高度な表現をすることがあるよ、と8は詩的なことを言ったりした。そういうところはたまらなく素敵だと思ったが、バスの遅延にたいそう苛ついたり周りの乗客に悪態をつくなど

 

私はそれをなだめ、周りの人に謝りまた8が機嫌を損ねないように都合の良いことを言ったりと、まるで接待のようで大変消耗した。箱根という街はとても良くて、季節も風景も行った施設も大変良くて素晴らしいのに、消耗は激しかった。

 

何か他に気に食わないことがあったり、私が彼の意に反することを言うと「帰っていいよ」と言う。私は必死で謝らないといけない。それが嫌だと言ったら冗談だよと言うが、冗談でも言っていいことと悪いことがある。私は冗談であろうととてもひやひやして傷ついているのだ。

 

宿は大変素晴らしかった。客室に温泉の露天風呂がついていて一応確認したが、やはり一緒に入ることになった。私は何度そう言う場面になっても、恥ずかしいという気持ちをなくすことが出来ない。とても困った。でも仕方ない。

 

恥ずかしくて距離を開けて入る。見て欲しくなくて暗くしてもなお、私は恥ずかしい。お湯はとても良かった。本当に良い温泉だ。しばらくして抱き寄せられる。体を撫で回され、至る所を触られる。身体は勝手に反応する。そこまで、私への配慮の言葉は一切ない。

 

勝手に漏れる声も、濡れる身体も自分が憎らしかった。気持ちは準備ができていないのに体だけは完璧に準備が整う。やや乱暴に私を撫で、まるで引っ掻くように背中に跡をつけられた。ああ、来るなと思った瞬間、ミシっという音を立てて私の中に彼のものが入れられた。

 

水の中だからかいつもと感じが違う。確かに体はすごく感じるのに、私はどんどん心が引き裂かれていく感覚になった。次第に、恋するときに痛む心と同じところが、違う痛みをともたって痛くなり始めた。 心が痛い。

 

こわい。

 

私は無言で8から離れて風呂の淵に座った。目からは滝のように涙が流れ、言葉にすることが出来ない。8はとても混乱した様子だった。どうしたの?と言われても私はしばらくわからないと言って泣きじゃくった。いつでも肩は貸すって言ってるかよ、と若干ずれたことを8は言った。

 

一生懸命言葉にした。「多分若干乱暴にされたから怖かったんだと思う。いつもは前にちゃんと優しくされてたのに今日はなかったから心がついていかなかった。別に嫌だとかそう言う訳じゃないし信頼もしてるけど・・・」そう、本当に嫌なら逃げるし、したくない訳ではなかったのだ。

 

ただ、気持ちの準備ができていないままに力で圧倒されてしまったらこうなった。これは初めてのことではなく、婚約していた元彼との間でも起こったことだった。「ごめんね。うんと優しくするよ」と言って私を優しく抱きしめた。「じゃあ、気を取り直してもう一回しよ。クズの自覚はある」

 

冗談だとわかってもただのクズの発言だった。私はこれこそ、もう1周回ってただ楽しもうと思った。そこからは、ただ快感に没頭したと思う。ベッドに移って一通りした後、私の身体にキスを降らすように愛撫してきた。身体はいちいち反応して、その反応があまりにも可愛いと8は悶えていたが、

 

私の身体の反応を楽しむその発言になんら喜びも感情もなかった。夕食後、私は今日の不満をやんわりと伝えた。すぐ 脅迫じみたことで縛るところが怖かったし、私の好きが届かないのが辛いと言った。前者は冗談だからと言ったが、後者の答えはなかった。

 

私はふと、元彼たちのことを思い出した。私は彼らとお風呂に入ることが大好きだった。普段恥ずかしくてあまりベタベタできない私が物理的に距離を縮められ温かいお湯に浸かることができ、リラックスできる。お風呂の中では自分から身体を寄せて耳元で「好きだよ」と言えた。そうすると彼らは

 

彼らなりの言葉でその愛の言葉に応えた優しい言葉を返してくれた。それがたまらなく幸せで、お風呂に入ることが好きだったのだ。それが一切ないお湯は一人で入った時と同じだった。人肌は確かに感じられたけれど、確かに性的な快感はあるけれど、愛が感じられなければここまで虚しいものなのだ。

知っていたはずなのに、4連休中は紛いなりにも慈愛の愛があって私が泣いた後も配慮はあったが、心の痛みはなかなか消えなかった。これが、本当に相思相愛でない相手との悲しい関係なのだと、私は好きでも相手は私を好きでいてくれないことこうなるのだ、と身を以て実感した。

 

帰りのバスで私は疲れもあいまってずっとぐずぐず泣いていた。8には疲れが極まってしまったから泣いているけど気にしないでと言った。そうなのかと言って、ずっと手を握っていてれた。

 

箱根旅行の総括は、高級な宿、ご飯、お風呂、大自然、行った施設、8というスマートな人間、教養のある会話等プラスの側面が1億2000万とするならば、8のご機嫌取り、私の消耗、心の傷等マイナスの側面は1億2000万と5だった。プラスマイナスzeroむしろマイという結果だった。

 

箱根から帰ってしばらく放心状態だった。疲労困憊で脳が働かなかった。私は8との関係をどうするべきか考える前に、次に進むべきと直感的に判断していた。恋愛だけでなく、人生をより良いものにするために。私は自分の大事なものがこの一連の体験ではっきりしたのだ。

 

私は、曖昧な関係には向かないこと。うんと心から愛し愛されたいこと。私は自分が思っている以上に価値があること。私は私が好きでいられるような環境を作れば良いこと。そう思えば仕事もプライベートも上手くいくだろう。8から得た学びは大きい。

 

急速に音を立てて私の周りは動き始めた。色んなことがプラスに動いて怖いくらいだった。人生が変わり始めていると感じた。私はゴミ箱のTwitterアカウントを消してもとのひいらぎに戻った。自分を傷つけることはしたくないという気持ちになった。

 

そんな矢先、8からこの曖昧な関係はどうなの?って思うと言われた。つまりは関係解消だ。私は絶対8とは付き合えないし、関係を解消したいと思っていたので願ったりかなったりだった。こうして、我々は友達に戻った

 

次こそは私を心から愛してくれる人と出会えますように。出会えなくても、私は私を愛しているから、大丈夫だろうけどね。

 

 

 

 

人生のスパイス2

日常生活から戻ると、私の思考は8との過ごした日々で支配され、あまり他のことは考えられなくなった。似通った趣向で非日常的な楽しい時間。8という人物に触れた様々な考察で脳内は忙しかった。8は提案はするが自分の意思を主張することがない。そのコミュニケーション方法にかなり戸惑った。

その独特のコミュニケーション方法は私の父のものそのものであり、本人の感情はハッキリと見えない。その中で彼らの本意を見つけ適切に対処するのは1種のワザだ。私は少なからず父で訓練されたその技を持っていたので、8に選ばれたのは確かだ。

8はいわゆるオーバースペックな人間だ。その上容姿もかなり良い。そんな人間が私を家に招き、信頼関係の元深い関係になれたというはのは私の中の価値をかなり高めた。そんな彼が未だにフリーな事実には大きな要因がある。

8の社交性は群を抜いているがしかし、大変消耗する。実は自分の人生の汚点をとても引きずっており、時々抑うつ状態に陥る。そう、まるで私なのだ。私と8はうつし鏡のようにそっくりで同じ悩みを抱えていたのだ。そんな彼は私という弱った人間を保護することで己を保っていたのだ。

8の独特なコミュニケーションと破天荒な経歴、そして他人への興味のなさは確かに深い人間関係構築を困難にしているようだ。本人も自分は友達がいないと日々苦悩していた。逆にあれ程のオーバースペックな人間が年相応の悩みを抱えていることに驚いたし、愛おしく思えた。

8への人間的な考察からやがて私は強い愛おしい感情を持つようになった。4連休後も相変わらずの頻度で電話した。そして電話の最後にいつも「愛おしいです。あなたを愛しています。」と伝えていた。そして「そうですか」と言われて終わる。私は4連休の2連敗に加え4連敗した。もう毎日心はきつかった

10月の中旬のある日8から葉山のペンションのURLが送られてきた。なんの事かと思ったが「いきたい?」と聞かれた。葉山のペンションはこの時期アクティビティとしては微妙だったので他の行きたいとこはないかと聞いたところ箱根のいくつかのオシャレな宿が提案された。かくして我々箱根に行く

ことになったのだ。まるで不倫旅行である。私は自分の思考を完全にとめた。考えたら一刻も早くこの関係を終わらさなければならない。名前のつけられない関係、と8は言ったけれど、客観的に見れば「セフレに片思い」だ。最悪だ。

そうして、私は心に蓋をした。単純にら箱根旅行を楽しみたい。そしてこれ以上傷つきたくない。なんなら、ほかの人をすきになりたい。以前から交流があって私に気持ちがある人とデートしてみたが、まるで気持ちが凪だった。私は気持ちに蓋をするがあまり好きになる感情すら感じなくなっていた。

まるで宝石箱に感情を押し込めて大きな鍵をして深海に沈めたようだった。それでも8への恋情は沸騰するお湯の如く湧き出て、深海の宝箱から溢れてしまい、海面近くまでその熱が伝わるかのように抑えることができなくなっていた。

8が元カノ然り、他の女の子の話をすると私の胸は軋むように痛くなる。それでも声色を変えないように必死で、私も腹いせのように他の男の子の話をする。それでも8の態度は一切変わらない。それが憎らしくて、私と同じ気持ちでないことの証明となってしまい、悲しくなった。

私と8のコミュニケーションは独特で、私が恋情により胸を痛めていることをきちんと言葉にしたり、感情を言葉にするようにした。でもそのおかげで私は、自分の感情が遅れてやってくることに気づいた。そしてそれを適切に対処できれば、情緒不安定が軽くなることに気づいた。

また、8との対話を通してうつし鏡のような自分と向き合うこともできた。8の激しい劣等感や憂鬱は客観的に見れば大きなことではなく、本人が激しくそう思っているだけで、第三者はそうでもない。それはまさに私にも言えることで、自分は自分が思っている以上に取るに足りない人間でないことが

心の底から理解できた。これは私が10年間悩んできたことで、それが解決してしまった。それをきっかけに私の周囲は動き出した。精神的な不安定さと自己肯定感の低さは8との対話で大きく改善したのだ。

私は自分が精神的な不安定さを抱えていることをリアルの友達に打ち明けられないでいた。過去にそのせいで何人もの友達を失ったからだ。それが少し打ち明けてみる気持ちになって、結果受け入れてもらえることができた事例があった。言いにくいことも打ち明けられる友達ができた。

友達に8との関係を打ち明けたりした。それがきっかけでさらに恋情は増し、私はあまりにも8を想うが為、少し遠慮したりした。いつも電話をかけるときは遠慮などせず連絡していたのに、事前にいついつ電話してもいいかと聞くようになった。(ビジネス的には至極当たり前)

それが8によからぬ憶測をさせたようで、少し機嫌を損ねてしまうことがあった。そのあたりから我々の関係は少し変化してきた。私は必死に8の機嫌を直すように取り繕ったりするようになった。私の恋情と8の態度は目まぐるしく変わり、毎日がジェットコースターのようだった。

これ以上恋情が強くならないように、思考を止めて、気持ちのを押し込めた箱をさらに深海へ沈めるように必死に努力して、それでも感情を引き出してくる8に私は堪えられず、告白してしまう日々だった。

箱根行き1週間前。その日も言い逃げのように8への気持ちを言葉にして電話を切ろうとした。すると8は不満げに「毎回そうやって逃げるけどさ、逃げるなよ」と言った。「いい言葉を教えてあげる。おそロシアと言う言葉あるけど、それに答える言葉はおそれんな(恐れ+ソ連)だからね」

おそれんな。その言葉がきっかけで深海に沈めた感情の箱は海面まで浮かび上がってしまった。もう抑えることが出来ない。箱根まではこのまま平穏でいたかったのに、私は行動せずにはいられんくなって、なんとしても8と付き合いたいと言う感情に支配された。

次の日。どうしたら付き合えるのか、とりあえず8の今の本当の私への気持ちをはっきり言葉にしてもらおうと決めた。8にいつもはしない問いをする覚悟で電話をした。いつもよりはっきりと酔っているのがわかった。

「私、本気で付き合いたいって思う」もう抑えることが出来ない気持ちをぶつけた。「え、何脅迫されてるの?こわww、俺刺されるかもしれないじゃん。」 。。。 私の気持ちは一気に冷めた。そして傷ついた。さらに要約すると過去にも刺されそうになったことがあるらしい。

そうだ、そもそも私のようなメンヘラ女子を囲っている人間なんだ。過去に刺されそうになった経験があったっておかしくない。それより、何故刺されそうになっているのか理解せずに同じようなことを繰り返していると言う時点で、人への理解や気持ちの配慮ができない人間であることがわかる。

急に冷めて、その日は茶化して電話を切った。一周回っておかしくなって、私の恋情は一気に冷めて、小さい蛇口から37°のお湯が出る程度になった。それと同時に私が絶対にそんな加害をしないと言うこうことはわかってるはずなのに、冗談でもそう言われたことが悲しくて大変傷ついた。

次の日。冷めたことで、大変良い感じに箱根を楽しめそうな予感がした。それは良いことなので、8に伝えようと思った。業務後すぐに電話した。すると昨日、私に言ったことを覚えていないと言うのではないか!泥酔していてほとんど覚えていないと言われて私は大変驚いたが、冷めた事実は伝えた。

茶化してこれで箱根満喫できるね〜と言って電話を切った。私は大変気分がよかった。なんせ燃えたぎる情熱は消え、清々しい気分になれたのだから。しかし、事は起こった。しばらくして8からさっきひどいこと言われたし酒を飲んでいるとメッセージがきた。

 

素直な感想は「は?なんで?」だった。私の恋情が冷めて都合良くなるのはあなたなのになぜそれを気に病むのか。私は一体なんなのか。訳がわからなかった。飲みが終わって帰ったら電話してと伝えて、私は深夜まで待った。しかし、私も疲れていて寝てしまった。朝起きると8から不在着信があった。

これはやばい。以前も私が寝てしまって、8からの着信を取れなかった時、偉く機嫌を損ねてしまった。ましてやこのねじれた状態でこれはまずい。私は気が気でなくなった。業務中も気が気でなくて本当に仕事にならなかった。業務後すぐに電話した。

8は普段と変わらない声で電話に出たが、それでもあまり機嫌が良くないことがわかった。私はまず昨日電話に出れなかったことを謝った。また、私が冷めたと言ったことで機嫌を損ねたと言う事実に対して謝った。そしてその真意を論理的に話した。8は自分が泥酔して覚えていないのに

一方的に冷めたとか言われて気分良くないと言った。そして「こんな関係で箱根行けるの?」と言ってきた。心臓が飛び出るかと思った。私は帰宅途中だったが、一回立ち止まって、深呼吸して、ならば昨日私がどんなにひどいことを言われたか教えてあげると言って、傷をえぐりがながら話した。

泥酔している時は本当は思っていないことも話している時があると8は言い訳をしたが、私が傷ついたことに対する謝罪はなかった。いつの間にか私はなぜか機嫌を直すように許をこいていた。そして結局のところ雨降って地固まることを理解させ、このことは水に流そうと言う提案しわかったと言わせた。

どうにか、機嫌を直すことに成功し、箱根もキャンセルしなかった。そして8のいつものおしゃべりを聞いて電話は切った。私は心底消耗し、大変疲れた。あまりにも疲れて友達3人に話を聞いてもらわないと、自分が保てないほどだった。

そもそもおかしな話だ。私の片思いを伝えたら、脅迫されたと言われ、私は大変傷ついたのに、それを覚えていない。そのことに対して一切謝罪なないのに、私が一方的に悪者扱いされ謝り倒している。これがモラルハラスメントというやつかと思った。

私への気持ちの配慮が一切ないからこういうことになるのだ。本当に悲しかった。そして、ここまできたら、人の金で高級旅館に泊まっておいしいものを食べてやるという気持ちになった。私は一見完全に割り切ったような気持ちになった。でも一見でしかなかったのだ。

箱根への前日。8からめちゃくちゃ楽しみだね。という旨のメッセージがあった。なんと能天気なと思ったが、私も楽しみだった。そしてやれやれやっとだという気持ちになった。そして、不安でもあった。

 

人生のスパイス(プロット)1

好きが届かないより辛いことは無い。もう好きにならないように、心に蓋をした。どうか、これ以上傷つきませんように..。相思相愛がこんなにも難しいものなのか。周りの恋人たちを心から尊敬する。

私は19歳の頃から精神的な不安定さに悩まされていた。時には長時間の通院を課され、苦悩しながら日常生活に支障がでないよう試行錯誤して、現在は大手メーカーで勤務している。しかし、精神的な不安定さからくる不調は相変わらずやってきた。また、1年前に2年付き合い、婚約破棄した相手がいた。

2020年7月。私は婚活に精を出していた。そもそも婚活を頑張ることは私の求める姿に遠ざかる行為だったのだが、当時は何も気づいていなかった。ただ、「結婚」という目的に向かって最適化した方法で頑張るということしていた。その結果、激しい消耗により精神・肉体共に限界を迎えた。

私はもともと自己肯定感が低い。いつでも自分は死んでも良いと思っていた。それでもそんな自分を変えたくて、まずは自分の容姿をできるだけ整えた。ブスが性格悪いとなると良いところは何もないため、性格も良いように自分を矯正した。人とのコミュニケーションはもともと苦手だったが、鍛えた。

その結果、そこそこの容姿のコミュ強の皮を被った陰キャ自己肯定感低いクソ女が誕生した。婚活は瞬発力勝負。ありとあらゆるところでモテまくった。それでも、私の自己肯定感が高まることはなかった。なぜなら私の絶対的基準は私の中にあり、それにが満たさされなければ意味はなかったからだ。

自分のキャパを超えた行動が続き、私は大きな病み期に陥った。何度もこの局面に遭遇していたが、今回こそ乗り越えるのは厳しいと感じる要因があった。1つ目は今まで支えてくれていたパートナーが不在であること。2つ目は会社の業績が下方傾向で不安があったこと。3つ目は頼れる友達の相次ぐ入籍

であった。ただでさえ精神的不安定になりやすい状況下で今まで頼りにしていたものも希薄になり、不安定な期間は長引いた。毎日会社で死にたいと泣いていた。そんな中拠り所になったのがTwitterであった。私はいつも自分が不安定になるとTwitterを拠り所にするところがあった。

Twitterの良いところはリアルでは名前も顔も知らない人物と簡単にコミュニケーションをとったりつながることができる点である。それが自分の垂れ流した文字への反応なり、アンケートや特定のツールを用いたり深いコミュニケーションへと発展させることができる。そうして私は「彼」と出会った。

Twitterで出会った人は「すれ違った人の延長」でしかない。そのため、普通なら言えないようなことも話しやすい。そうしてたまたま繋がった「彼」とは私の病んだ心情の吐露(ゲロの処理)の相手として始まったのだ。それがこんなことになるとは3ヶ月前の私は想像していただろうか。。

「彼」をここから8と呼ぶ。初めて8と電話した時、私たち初めてにもかかわらずとても己の心理的な深い話をした。彼と話しているうちに、彼のずば抜けた思考力と論理力に只者でないと感じた。私も思考力、論理力面で秀でたものがある部類ではあったが、到底及ぶものでなかった。

それから私は解決策が知りたい時や微細な心理状態を説明してその理由を解き明かしたい時に、8に連絡するようになった。8は幸い暇だったので、いつでも私の話を聞いてくれた。 8も自分の話をよくしてくれた。聞けば聞くほど、私と8は考え方、境遇、悩みが酷似していた。

そのため、8と私はよく心を通わされることができた。8もまた、元カノと私が元彼と別れた同時期に分かれており、心の傷口は大変似ていた。タイムリーで出会うべきタイミングで出会ったのかもしれない。彼との対話は時にカウンセリングであり、私はみるみる回復した。

2020年9月。私と彼との通話は10回を超えていた。次第に私は彼に恋心を抱くようになった。自然なことだと思う。彼もまたそうだと最初は思っていた。 「会いたいです」私は素直にそう言った。「いいよ。9月4連休あるね、こっちくる?」こうして9月の4連休に我々は会うことになった。

ここで1つ大きな問題があった。8と私の物理的距離はおよそ600Kmあった。4連休に会う=泊まりである。うちに来ていいと8は言ったが、仮にお互いシングルであったとしても、我々は妙齢の男女であるのだから、云々。私はしばらく悩んだ。

8と4回夜を同じ屋根の下で過ごしたら、この私が何もなくて終わるはずがないと直感でわかっていた。だからとても悩んだ。ポリシーを曲げてまで、行くべきか。それを素直に8に相談した。「前も女の子を家に泊めて何もないことあった」

今思うとその時点で違和感を覚えるべきだった。私は「なら最悪しなくてもいいかもしれない」というなんとなくの楽観主義で、彼の元へいく手筈を整えた。しかし、覚悟は決めた。性的な関係ないならない確率は30%。そう思って、来たる日を迎えた。

仕事終わり、私は早々に帰宅し、荷物を手に取り電車に乗った。彼の家の最寄り駅まで着くと、写真では見たことがあったその人が待っていた。慣れた感じで手早くタクシーを手配した8は超絶早口で街を車窓から案内してくれた。彼の家まで着くと、窓から見える景色の説明も家の中の説明も

私でなければ理解が追いつかないであろう(自画自賛)スピードでなされた。長時間の移動で疲れていたとはいえ、よく1回で理解できたと私は自分を褒めた。その後軽くお酒を飲んで、その夜、どこで寝るかと聞かれた。選択肢は2つあり、彼のベッドかリビングのソファーかであり、私はソファーを選択

1日目の夜は別々で寝ることになった。8から借りた毛布には8の匂いが染み付いていた。私は大の匂いフェチである。早速不安になった。そしてほとんど眠ることができなかった。8もまた、眠れていないような気配がした。

2日目、軽くシャワーを借りて、その日は8の住む街を散策した。お昼に焼肉を食べて、色々歩き回った結果14時にはお互い疲れて部屋に戻った。部屋のソファーでうたた寝をしていると8は私の腰を掴み揺すってきた。なんとなく、外でご飯を食べてから8が出す雰囲気は私を性的に見る男そのものだった

私を性的に見てくる男は簡単だ。まず体の方向を私に向けてくる。私をマジマジと見て距離が近くなる。今まで50人以上の男とサシで会っていれば大抵そんなことはわかるようになる。大抵私はそこから硬く自分を律し、性的な隙は一切見せなくなる。そうすると男は脈なしと判断し、私は何事もなく

いつもは帰るのだ。しかし、今回帰る場所はここしかない。8に体を触られた時、私の女の部分はもう完全にスイッチが入った状態になった。これはまずい。必死で眠いとアピールして難を凌ごうとした。が、次の瞬間、体が宙を浮いていた。いとも簡単に抱き上げられ、私はベッドまで運ばれたのだ。

「もう、重いから!!」顔を手で覆いながら必死に恥ずかしさを抑えた。ベッドまで運ばれ、「新規1名様ご案内」と8は呟いた後、「何時に起こせばいい?」と言った。私は咄嗟に「2時間後くらい」と答えた。「おやすみ」寝室の扉はそう言って閉ざされた。私はこの状況を理解するのに時間がかかった

ベッドはふかふかでとても寝心地が良かった。混乱よりも眠気が勝った私は、1時間ほど本気で寝てしまった。それから、この状況を整理しようとしたが、できなかった。そしてちょうど2時間経過後自ら寝室を出た。8は何食わぬ顔でゲームをしており、「時間ちょうどだね」と言った。

 

それから何もなかったかのように、一緒にテレビを見ながら、デリバリーで注文したご飯を食べた。教養として彼がお勧めしてきたアニメをその日6話までみた。私はそのアニメにずっと興味があったので、良い機会だった。他のことを考えないようにずっとアニメに集中して見ていた。

そして、事は起こった。深夜1時。私の眠気はMAXを超えていた。すると8は「今日こそはこっちにおいで」と言った。私はついにきたかと思った。「避けられないのか」と呟いた。8はどういうこと?とよくわかっていなかったが、8のベッドで一緒に寝ることになってしまった。

寝室に入って扉を閉めた時、深呼吸をした。ベッドの左端に私が転がると、8は右側に横になった。そして腕を広げ「おいで」と私に言った。突然冷静になった私はこれは抱きしめられるだけだな。抱きしめられたい。という気持ちになり、思いっきり8の腕に飛び込んだ。そして大きな体で包み込まれ

抱きしめられた。半年ぶりだった。人の温かみを感じるのは。とても気持ちが安らいだ。「おやすみ」そう8は言ったのであー寝るのだな。ふむふむと私は寝ようとした。しばらく抱きしめられた状態が続いた。しかし、首元にやたら息がかかる。8は私の首もとに顔を近づけているように思えた。

息が荒い。8が大きく息を吸い込んだかと思うと、次の瞬間私の首筋に噛み付いた。咄嗟に避けようとするが、足を絡められ動けない。そのまま首から耳にかけて念入りに舐められる。ゾクゾクする。体はビクビクと反応するが避けられない。「なんのつもりで舐めてるの?ねぇ」

そこに首筋があるから」意味がわからない。頭の中は大混乱でその質問を4回は繰り返した。次第に背中を舐めた後念入りに撫でられ、手は胸を揉みしだき、口で首を舐められた。私は限界だった。そして足の太腿に8の硬いものも当たる。「どうする?これでやめてもいいよ」馬鹿か。

こうして我々は体の関係になった。8のものは私には少し大きかったが、私の元彼たちもまたそれくらいだったので、気持ちいいところはよく体が知っていた。私は自分の最奥が突かれるたびに快感に打ちひしがれ、体を震わした。8はいろいろな体位を私で試した。初めて私は自分からギブアップした。

何回いったか正直覚えていない。大きくいったのは3回だろうか?くらい曖昧だった。その夜はそのまま寝て、次の日の朝、起き抜けにまたして、終わった後、我々は冗談を言ったりして笑い合った。それはまるで本物の恋人のように自然で、幸せな時間だった。3日目は14時過ぎから始まった。

3日目は雨だった。ずっとアニメを見ながらゴロゴロ過ごした。ついに2日間で13話のアニメを見た。それから8が勧めてくる今季の面白いアニメを見てから、一緒に天気の子を見た。正直微妙で、その感想は8も一緒だった。それがちょっと面白かった。3日目の夜もグダグダになって、4日目の予定を立て

た。4日目は晴れだった。朝も一通りした後、準備をして出かけた。電車に乗っていろいろ観光した。8の歩くスピードは早くてなおかつ案内に無駄はなかった。私は日々鍛えているおかげで全く足に負担を感じず、計2万歩を歩いた。帰りにピザを注文してギリギリ受け取りに成功した。楽しい。

ピザを食べた夜、お酒を飲んだ。私は最後の夜だからと、8に言いたいことを言うと思った。上手に伝えることができない。夜ベッドの上で、私はそれとなく思いを伝えた。8は混乱していた。嘘でしょ。。。同じ気持ちなのだと思っていた。でもそうではなかった。私はとても悲しい気持ちになった。

その瞬間私の体は一ミリも反応しなくなった。それはもう見事で、泣き言を言いながら私は不貞腐れていた。そのうちに8は寝室を出て行ってしまった。「ねぇなんで?」「だって、ベッドで寝るときはする時なんでしょ?」「そんなこと言ってない。ねぇ、最後の夜だから一緒に寝よ。お願い」

ただをこねる子供のように、私は一緒に寝ようと懇願した。そして渋々8は寝室に戻ると一緒に距離を開けて寝た。私はフラれたのだ。そして少し8の背中におでこをつけてざめざめと泣いた。泣いたらスッキリしてよく眠れた。そして最終日を迎えた。

最終日は予定が詰まっていた。私は夜19時までに電車に乗らなければならない。8と電車に乗って出かけ、途中ビールを飲んで歩いて、とても楽しい時間を過ごした。昨日フラれたのにもかかわらず。そして14時頃部屋に戻ってから、最後に我々は体を合わした。

つかれながら私は「好き」と言った。そして即答で「ごめん」と返ってきた。私はセックスしながら悲しくて泣いた。なんてことだろう。終わった後、8は論理的な私に情がない理由を述べた。恋に落ちる感覚がないのだそうだ。この4連休の目的は私へのセラピーだったのだ。猫や犬を愛でるように

確かに8は私に接していた気がした。それは確実に愛ではあったが慈愛であって、恋愛ではなかったのだ。私は2度フラれた。けれど、スッキリした感じはあった。確かに愛情に飢えていた私はとても回復した。セラピーは大成功だったようだ。最後に8は「お願いがある」と言った。

そう言って私を優しく抱きしめ、私は抱きしめ返した。確かにそこには愛があったと思った。「次も来てもいい?」帰り際私は8に聞いた「お互い相手がいなかったらね」そう言って、我々はなんとなく約束もせず、分かれた。そう、これで終わりでよかったのだ。なのに。。。